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ALT(外国語アシスタントの先生)はネイティブを使うな。もしくは、その国の言語を学んでいる人をよこせ!

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日本語が母国語である日本人が、日本語を外国の方に教えることができるか。これは「できない」が正解だ。もちろん会話の相手になってやる事はできるだろうが、先生としての機能は果たす事はできないのだ。

 

例をみてみよう。

①私は人間です。

②私が人間です。

この①と②の意味の違いは分かりますよね。なんか②の方が主張が強っぽいなというニュアンスをもっているでしょう。会話の中でもこの助詞の使い分けは意識せずとも、ニュアンスで分かっています。なのでこの程度なら、なんとなく説明できそう。それでも”なんとなく”ですが。

 

では次

①私に日本語を教える事は可能ですか?

②私に日本語を教える事が可能ですか?

これを文法的にどう説明すれば良いのでしょうか?先ほど例より説明する難易度が上がったと思いませんか?このように感覚で分かっているという事は多くあります。

 

ちなみに、僕も先生という存在に憧れていて、海外にも憧れを感じていた事から海外で日本語の先生になろう!というプログラムに応募しました。一応合格したのですが、やはり休学してまではやりたくないなということで(意思が弱いというツッコミはなしで。笑)、辞退しました。そう、日本語の文法を説明できないネイティブが先生として海外の子どもたちに教えようとしたのです。

 

もちろん、文法を教える事が条件だとは言いませんが、確実に僕より適材な人がいます。日本語科を選考している日本人だと、日本語検定も受けていたりするので、やはり先生としての素質は僕より断然上です。

 

しかし、ここで僕が言いたいのは、これと同じような事が日本でも起こっているのです。

 

イギリスやアメリカ、オーストラリアなどのネイティブの人たちをただ連れてくるだけでは、感覚的な教育に頼ってしまいます。小学校からそうした教育はいいかもしれませんが、家でも友達との会話でもずっと日本語だと、感覚的に英語を身につけていく事は難しいです。なので、やはり理論的に説明できるネイティブの先生というのは重要なのではないでしょうか。

 

さて、この対案としては、フィリピン人をALTとして招集すればよいのです。彼ら、彼女らは英語を母国語のように扱いますが、英語はあくまでも第二言語です。僕も彼ら彼女らから多くの事を学びました。文法の説明もとても分かりやすかったです。実際にイギリス人等がいた英会話教室に半年通っていましたが、「これはこういうんだよ。」的な返事が多かったです。

 

どうしてこうなるの?とネイティブの方に聞いても、なかなかうまい説明が返ってこず、近くにいたTOEIC900点オーバーの学生の方が納得のできる説明をしてくれたのは今でも覚えています。

 

 

もちろん、フィリピン人全員が理論的に全てを説明できるわけでもなく、感覚的に覚えている事も重々承知です。しかしながら、発音が綺麗な先生を招集する事が出来れば、人件費も安く済ませる事が出来、多くの優秀な日本人を世界に輩出できるのではないでしょうか。英語の文法をきちんと教える事ができるネイティブというのはなかなかいない現状で、これは良い施策になると思います。

 

まぁ絵空事かのように言ってますが、取り敢えず、どうせALTを呼ぶのなら、ネイティブではなく、ややネイティブがいいのは実感としてあります。

 

では