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科学的根拠なき「リーダー論」は嫌いだった

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 リーダー論、リーダー論、てうるさいんだよ。

取り敢えず、人をマネジメントする理論やそれまでのしきたりに当てはめて、仕事なりなんなり遂行すればいいじゃないか。

 

なんて思っていました。なので、リーダー論で有名な「人を動かす」という本も、積ん読状態で、あまり読む気がしませんでした(まだ全部読んでません。なので、この記事でも言及しません)

 

それもそのはず。学生なんかにリーダー論なんていらんのですよ。

 

人の上に立って、人を動かし、時には仕事に対してモチベーションの上がらない部下や後輩に対して諭すような事は、学生には皆無。ただ騒いで、あるいは時には真剣にミーティングしている”ふり”をするサークル活動などとは違うのですよね。それは仕事に対する責任感の大きさや、社会人として背負うものが違うからなのかもしれません。

 

そんな時に、自分が学部の時に出たビジネスコンテストにて、初めてリーダーとは大変な事なんだという事が分かりました。

 

そのビジネスコンテストは、たくさんの応募の中から選ばれた人たちが集まり、約1週間泊まり込みでビジネスプランを練り上げるというもので、チーム戦でした。僕は、5人のチームの中のリーダーになってしまいました(自分が率先してリーダーをしたいと名乗りました)。その中には年上の方も2人いたのですが、色々な話し合いで僕が選ばれました。

 

いや、これが、とても大変で。1週間もあると、大事な選択をしなければならないことがいくつかあり、その話し合いの中で議論する過程、そして結果を導き出すまでに、僕がリーダーとして動かなければならないことが多々ありました。

 

この時、悟りました。人を動かす、というのはどれほど大変で、凄い事なのか。まぁ、学生のビジコンも大した事ないかもしれませんが、僕は少なからずリーダーとはどういうものかが見る事ができたつもりです。

 

皆に嫌われるかもしれない、みんなから好かれたいという気持はやっぱりどこかにあって、、、それもリーダーとしてはどうなんだろうかと思いますか、やはりあります。ルフィの如く、明確なビジョンがあって、それについてきてくれる仲間みたいなのって難しすぎですよね(こういうワンピースを持ち出す話は好きじゃないが、例として仕方なく、、)。

 

だからこそ、リーダー論があり、リーダーとしての品格であったり、ビジョンであったり、行動であったり、話し方であったりと、至る所にリーダーたるべき要素が、色んな本に書かれ、多くの人が共感をしているのだなと感じました。

 

リーダーシップに対する教育というのは本当に日本ではなされないので、それも弊害となり、MBA卒のアメリカ人が先導にって指揮を取るというイメージがついちゃったのかもしれません。どちらかと言うと日本はフォロワーシップの教育が上手ですから。笑

 

 

そういう事も踏まえて、上記の本は去年のものですがリーダーシップとは何か、そしてそれに対してどのような教育がなされているのかが垣間みれます。

 

会社の上司もさることながら、スポーツの監督もリーダーだし、研究室のトップ(教授)もリーダーだし、バイトリーダーだってそうかもしれない。。。どんな人でもリーダーである素質があるのか分からないが、それを知るというのはとても重要な意味がありそうだ。

 

まとめあげて成果を出す、時には失敗してもそれをまた糧にできるような環境など、リーダーの存在こそが日本の将来なのかな。

 

では